2012年4月22日日曜日

国宝久能山東照宮

久能山東照宮
久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)は、日本の静岡県静岡市駿河区に所在する神社である。
晩年を駿府で過ごした徳川家康が元和2年(1616年)に死去した後、遺命によってこの地に埋葬された。
江戸時代には20年に一度、明治時代以降では50年に一度、社殿を始めとした諸建造物の漆塗り替えが行われており、
近年では2006年(平成18年)に社殿の塗り替えが完了した。修復作業は現在も一部で続けられている。
2010年(平成22年)12月に、本殿、石の間、拝殿が国宝に指定された。
2015年(平成27年)には鎮座400年を迎えるため、様々な催し物が企画、開催されている。


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一ノ鳥居から見上げると、それほどの高さではないが、石段は九十九折に高度を増すので、結構歩く。
資料によると、本殿まで1159段あるらしい。
自然の山道よりも、石段の方が単調で疲れるのだが、ここの石段からは、駿河湾を一望できるため、
上に行くほど見晴らしが良く、飽きることがない。
石段の下には、駿河稲荷社が鎮座しており、石段を登りきった場所に、一ノ門。門をくぐると、門衛所。
緩やかな坂道を、しばらく歩くと、山本勘介の掘った井戸。
久能城は、武田信玄により築城された城で、信玄の軍師であった山本勘介が掘った(掘らせた?)井戸が残っている。


▲ 本殿まで1159段の石段

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▲ 山本勘介が掘った井戸


▲ 駿河湾を一望






▲ 徳川家康のお墓




2012年4月17日火曜日

渋田川の芝桜

渋田川の芝桜
上谷地区を流れる渋田川の河畔、約600m余りの川畔が芝桜で埋めつくされる。
水辺から4mほどの斜面いっぱいに、赤、白、ピンクの芝桜が咲き、花の絨毯のように美しい。
川面に映る花の色と生け垣の緑がより一層この景観を引き立てている。
花の季節は、4月中旬頃、「かながわの花の名所100選」の一つ。


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神奈川県の伊勢原市にあり、600mほどの川沿いの土手にボランティアの方々が一年の間丹精に手入れをしてきた芝桜が、
例年4月初旬から下旬にかけて一面に咲き、ピンクや白、紫、斑入りなど色とりどりの見事なじゅうたんを敷いてくれます。
ところどころに桜の樹も植えてあり、タイミングがいいと両方が同時に咲き誇っているさまを見ることができます。
トイレやちょっとした露店も出たりしてますし、最寄の伊勢原駅からはこの時期だけ臨時のバスが出ていますし有料ですが駐車場もあります。
地元の方が作った野菜や蜂蜜、漬物、花の苗などを売っていて晴れた日には富士山の姿も見られますし楽しみながら散策することができます。
 






2012年4月13日金曜日

山北鉄道公園

山北がかつて「鉄道の町」として重要な役割を果たしていたことを残す数少ない施設の一つ。
御殿場線が東海道本線から格下げされた後、
箱根の峠の急勾配を越えることが可能な大型蒸気機関車として活躍したD52の70号機が静態保存されている。
また、夜にはスポットライトでライトアップされ、闇の中に浮かぶ勇壮な姿が美しい。
 
 

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すぐ脇を御殿場線が走っており、この公園付近の「山北の桜並木」は花見スポットとしても有名である。


鉄道公園に展示されているD52-70は、昭和43年8月1日、御殿場線全線に電車が走るようになりその勤めを終えました。
現在は、鉄道公園に保存され、山北駅鉄道公園保存委員会の手によって大切に維持管理されています。
D52-70号は、D52型蒸気機関車、D52型兄弟の70番目の生まれで、昭和19年4月に製造され、
山陽線、東海道線で働き、昭和26年2月、国府津機関区に配属になってからは御殿場線で活躍しました。











 

2012年3月17日土曜日

みなみの桜と菜の花(南伊豆町)

伊豆の最南端のまち、南伊豆町では毎年2月中旬頃から青野川沿いの河津桜と菜の花が見頃を迎え、湯けむりたなびく温泉街を彩ります。 昼の表情とは異なる夜桜もまた格別。温泉宿でゆったり休み、昼も夜も花を愛でる滞在型の「花旅」もおすすめです。


伊豆に春を告げる風物詩、

早咲きの桜を満喫。

伊豆の初春の風物詩ともなっている河津桜。その歴史は1955年頃、町民(飯田氏)が偶然発見したさくらの苗を町ぐるみで増殖したことから始まりました。

河津川沿いに咲き誇る濃いピンク色の河津桜。開花時期にはその可憐な姿を毎年100万もの人々が観賞に訪れ、魅了されています。


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2012年1月31日火曜日

菜の花

吾妻山の菜の花
吾妻山公園は360度の大パノラマ。箱根、丹沢、富士山が手に取るような近さに感じられます。南に広がる相模湾は、晴れた日には大島や初島も見ることができます。一面芝生のさわやかな園内は、休日になると家族連れや若者たちでにぎわっています。


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↑ 展望台より相模湾を望む。


↑ 冠雪の「大山」を望む。


↑ 滑り台で遊ぶ子供達。


2011年11月22日火曜日

日光東照宮

日光東照宮 元和2年(1616)江戸幕府初代将軍徳川家康が死去すると遺言により一端久能山に埋葬され翌年元和3年(1617)に日光に改葬されました。翌年、朝廷から東照大権現の称号と正一位を与えられ東照社と称しましたが正保2年(1645)宮号を賜り、日光東照宮と改称しています。三代将軍家光は家康に対し特別な畏敬の念があり日光東照宮への参拝は19回に及び、寛永13年(1636)には社殿の大造営を行い現在に見られるような社殿群を建立しました。尚、2代将軍秀忠が建立した拝殿・唐門・多宝塔は徳川家発祥地の地とされる世良田東照宮へ移築され分霊を遷座しています。日光東照宮の総奉行は秋元泰朝、棟梁は甲良宗広一派が手掛け、将軍家の威光をかけた壮大華麗な社殿建築を創出しました。又、日光東照宮は政治的にも利用され、例祭には朝廷から奉幣使が派遣されたり朝鮮通信使が参拝に訪れたりし幕府、将軍家の権威付けが行われました。当初から天海僧上の主張もあり山王一実神道による神仏混合を採用し、薬師如来を本地仏を祀り他の日光山内の社寺と渾然一体となっていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により日光東照宮、二荒山神社、輪王寺の「二社一寺」に集約され日光東照宮は改めて正式の神社となっています。日光東照宮は現在でも多く社殿や寺宝を所持し特に本殿、石の間、拝殿、陽明門、回廊などは国宝に指定され、「三猿」、「眠り猫」、「想像の象」などの彫刻は日光三彫刻として名を馳せています。境内は輪王寺本坊、大猷院廟、二荒山神社などと共に「日光山内」として国指定史跡に指定され、「日光の社寺」として世界遺産に登録されています。


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2011年11月7日月曜日

第65回あつぎ鮎まつり花火大会-2



東日本大震災の影響で中止が決まった後、市民の要望で復活した「あつぎ鮎(あゆ)まつり大花火大会」(厚木市など主催)が5日夜、厚木市厚木の相模川で繰り広げられた。

午後6時から約7000発の花火が打ち上げられ、夜空と川面を色とりどりに染めた。河川敷を埋めた観客は33万人(市発表)。肌寒い中、いつもとはひと味違う晩秋の花火を満喫した。

2011年11月6日日曜日

第65回あつぎ鮎まつり花火大会



東日本大震災の影響で中止が決まった後、市民の要望で復活した「あつぎ鮎(あゆ)まつり大花火大会」(厚木市など主催)が5日夜、厚木市厚木の相模川で繰り広げられた。
午後6時から約7000発の花火が打ち上げられ、夜空と川面を色とりどりに染めた。河川敷を埋めた観客は33万人(市発表)。肌寒い中、いつもとはひと味違う晩秋の花火を満喫した。

2011年10月23日日曜日

吹割の滝

吹割の滝
900万年前に起こった火山の噴火による大規模な火砕流が冷固した溶結凝灰岩が片品川の流れによって侵食されてできたV字谷にかかり、そこに向かって三方から河川が流れ落ちるその姿から「東洋のナイアガラ」とも呼ばれる。
近くには「鱒飛の滝」がある。高さ8メートル、幅6メートルの滝で、遡上してきた鱒がここを越えることができずに止まってしまうことから、かつては「鱒止の滝」と呼ばれていた。
遊歩道も整備されており、またその入り口には沢山の土産物屋があり、観光シーズンには多くの観光客であふれる。水量が大変多いため水難が多発する。また、水の侵食により1年間で約7センチメートル上流に向かって遡行しており、将来的には瀑布は上流に移動することになる。


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昭和11年12月16日文部省より、天然記念物に指定された吹割の滝は、高さ7m、巾30m余に及び、こうこうと落下、飛散する瀑布は、東洋のナイアガラと言われております。
この滝は、凝灰岩、花崗岩の河床上を流れる片品川の清流が、岩質の軟らかい部分を浸食し、多数の割れ目を生じ、あたかも巨大な岩を吹き割れたように見えるところから、
「吹割の滝」の名が生まれました。