曽我別所梅林
~ 梅祭りと梅林の歴史 ~
小田原では今から約600年以上も昔、北条氏の時代に梅の実を兵糧用にするため、浄化に多くの梅の木が植えられました。それが江戸時代には、小田原藩主の大久保氏により梅の栽培が奨励され急速に増えました。さらに、箱根越えの拠点としての宿場町として、旅人の必需品(弁当の防腐、のどの渇きを癒す、健康食品)としても梅干が重宝されました。その小田原の中で曽我梅林では、食用の梅を生産するとともにその花の美しさ、可憐さ、高貴さを楽しんでいただきたく、約40年ほど前に地元農家が実行委員会を作り、梅祭りを開催するに至りました。
曽我梅林は、中河原・原・別所(当地)の各梅林からなり、約35,000本の白梅が植えられています。食用梅の生産が目的のため、その殆どが白い花の白梅になっています。
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