2011年11月22日火曜日

日光東照宮

日光東照宮 元和2年(1616)江戸幕府初代将軍徳川家康が死去すると遺言により一端久能山に埋葬され翌年元和3年(1617)に日光に改葬されました。翌年、朝廷から東照大権現の称号と正一位を与えられ東照社と称しましたが正保2年(1645)宮号を賜り、日光東照宮と改称しています。三代将軍家光は家康に対し特別な畏敬の念があり日光東照宮への参拝は19回に及び、寛永13年(1636)には社殿の大造営を行い現在に見られるような社殿群を建立しました。尚、2代将軍秀忠が建立した拝殿・唐門・多宝塔は徳川家発祥地の地とされる世良田東照宮へ移築され分霊を遷座しています。日光東照宮の総奉行は秋元泰朝、棟梁は甲良宗広一派が手掛け、将軍家の威光をかけた壮大華麗な社殿建築を創出しました。又、日光東照宮は政治的にも利用され、例祭には朝廷から奉幣使が派遣されたり朝鮮通信使が参拝に訪れたりし幕府、将軍家の権威付けが行われました。当初から天海僧上の主張もあり山王一実神道による神仏混合を採用し、薬師如来を本地仏を祀り他の日光山内の社寺と渾然一体となっていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により日光東照宮、二荒山神社、輪王寺の「二社一寺」に集約され日光東照宮は改めて正式の神社となっています。日光東照宮は現在でも多く社殿や寺宝を所持し特に本殿、石の間、拝殿、陽明門、回廊などは国宝に指定され、「三猿」、「眠り猫」、「想像の象」などの彫刻は日光三彫刻として名を馳せています。境内は輪王寺本坊、大猷院廟、二荒山神社などと共に「日光山内」として国指定史跡に指定され、「日光の社寺」として世界遺産に登録されています。


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2011年11月7日月曜日

第65回あつぎ鮎まつり花火大会-2



東日本大震災の影響で中止が決まった後、市民の要望で復活した「あつぎ鮎(あゆ)まつり大花火大会」(厚木市など主催)が5日夜、厚木市厚木の相模川で繰り広げられた。

午後6時から約7000発の花火が打ち上げられ、夜空と川面を色とりどりに染めた。河川敷を埋めた観客は33万人(市発表)。肌寒い中、いつもとはひと味違う晩秋の花火を満喫した。

2011年11月6日日曜日

第65回あつぎ鮎まつり花火大会



東日本大震災の影響で中止が決まった後、市民の要望で復活した「あつぎ鮎(あゆ)まつり大花火大会」(厚木市など主催)が5日夜、厚木市厚木の相模川で繰り広げられた。
午後6時から約7000発の花火が打ち上げられ、夜空と川面を色とりどりに染めた。河川敷を埋めた観客は33万人(市発表)。肌寒い中、いつもとはひと味違う晩秋の花火を満喫した。

2011年10月23日日曜日

吹割の滝

吹割の滝
900万年前に起こった火山の噴火による大規模な火砕流が冷固した溶結凝灰岩が片品川の流れによって侵食されてできたV字谷にかかり、そこに向かって三方から河川が流れ落ちるその姿から「東洋のナイアガラ」とも呼ばれる。
近くには「鱒飛の滝」がある。高さ8メートル、幅6メートルの滝で、遡上してきた鱒がここを越えることができずに止まってしまうことから、かつては「鱒止の滝」と呼ばれていた。
遊歩道も整備されており、またその入り口には沢山の土産物屋があり、観光シーズンには多くの観光客であふれる。水量が大変多いため水難が多発する。また、水の侵食により1年間で約7センチメートル上流に向かって遡行しており、将来的には瀑布は上流に移動することになる。


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昭和11年12月16日文部省より、天然記念物に指定された吹割の滝は、高さ7m、巾30m余に及び、こうこうと落下、飛散する瀑布は、東洋のナイアガラと言われております。
この滝は、凝灰岩、花崗岩の河床上を流れる片品川の清流が、岩質の軟らかい部分を浸食し、多数の割れ目を生じ、あたかも巨大な岩を吹き割れたように見えるところから、
「吹割の滝」の名が生まれました。









2011年10月18日火曜日

戦場ヶ原「湿原」

戦場ヶ原(せんじょうがはら)は、栃木県日光市の日光国立公園内にある高層湿原である。
標高は約1,390mから1,400mである。
戦場ヶ原という地名は、山の神がこの湿原を舞台に争いを繰り広げたという伝説に由来している。


戦場ヶ原は、標高約1,390から1,400メートルの平坦地に広がる400ヘクタールの湿原である。
その東側を(南から順に)男体山、太郎山、山王帽子山、三岳およびその山麓に囲まれ、西側は(南から順に)小田代ヶ原、外山に面する。地内西縁部にはほぼ南北方向に湯川が流れる。
湿原はもともと湯川が男体山の噴火で堰き止められた堰止湖であったが、その上に土砂や火山の噴出物が積もり、さらにその上にヨシなどの水生植物の遺骸が腐らずに堆積して陸地化し湿原となった。
この湯川に並行するように、赤沼と湯滝の間に戦場ヶ原自然研究路が設置され木道が整備されている。
2001年(平成13年)、環境省日本の重要湿地500に第1基準および第2基準適合の高層湿原および湖沼として湯ノ湖および小田代ヶ原とともに指定を受け、その4年後の2005年11月には、戦場ヶ原のうち174.68ヘクタールの地域が湯ノ湖、湯川、および小田代ヶ原と共に、
奥日光の湿原としてラムサール条約登録湿地となった。









2011年10月14日金曜日

竜頭の滝

湯ノ湖に端を発し戦場ヶ原を流れ下ってきた湯川の末流にかかる滝。
長さ約210mの急斜面を途中で二手に別れ、まるで大岩を噛むように豪快に流れ下る。
「竜頭」の名前は、二枝に分かれた滝を正面から見た姿を龍の頭に見立てたものとされ、
二手の流れを髭に見立てたとも、中央の岩を頭部に見立てたとも言われる。

滝は下流側正面の観瀑台から眺めるのがよいと言われるが、
東側面には散策路があり、急流状になっている滝を側面から見ることもできる。
かつては上流部の一部を龍雲滝(りゅううんたき)と呼び分け、
滝下流部と区別していた時期もあったという。
竜頭の滝の黒々とした岩壁は、
男体山の火山活動の末期に噴出したデイサイト質の軽石流が形成したもので、
かつて巨大な湖だった戦場ヶ原を埋め尽くしたものがここまで流れ下ってきたものである。
滝を下った湯川はすぐ下流で地獄川の右支流となり、0.5km先で中禅寺湖に流入している。

新緑やツツジ(トウゴクミツバツツジ)の咲く季節、
紅葉の景観が見頃であると言われ、その時期には観光客で賑わう。
奥日光一帯では紅葉が訪れる時期が最も早い場所でもある。


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湯ノ湖(ゆのこ)から流れ出た湯川(ゆかわ)が、
中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)に注ぐ手前にある。
奥日光三名瀑(めいばく)のひとつで、
男体山(なんたいさん)噴火による溶岩の上を210メートルにわたって流れ落ちている。
滝壷(たきつぼ)近くが大きな岩によって二分され、
その様子が竜の頭に似ていることからこの名がついたといわれる。
春と秋には、周辺のツツジ、紅葉も美しい。


2011年8月19日金曜日

明野 「ひまわり畑」

日本一の日照量といわれる茅ヶ岳山麓の西、
茅ヶ岳広域農道沿いに広がる。
南に富士山、北に八ヶ岳、
西に南アルプス連峰が望める。
雄大な景観の中でひまわりを鑑賞した。

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2011年7月26日火曜日

夕日の滝

夕日の滝
酒匂川の上流内川にかかる滝で金太郎が産湯をつかった滝と伝えられています。
夕日の滝の名称は、夕日に映える美しさから名づけられたと言われていますが、
毎年1月半ばに夕日が滝口に沈むところからつけられたとも言われています。
新緑、紅葉ともに美しく、夏はキャンプ場が開かれ水遊びでにぎわいます。
7月第一日曜日には、登山やキャンプの安全祈願のため「夕日の滝びらき」が行われます。

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森林浴とマイナスイオンの宝庫。
神奈川県南足柄市。
東名高速 大井松田IC から県道78号 約13kmで地蔵堂。
地蔵堂から細いが舗装された道を15分くらい。
途中に、金太郎の遊んだ「かぶと石・たいこ石」や「生家跡」がある。
キャンプ場の橋を渡って2~3分、木の間をぬけると、滝に到着。
キャンプ場も見えず、周りには何もないためすいている。






2011年7月17日日曜日

柿田川湧水

柿田川湧水
柿田川(かきたがわ、かきだがわ)は、静岡県駿東郡清水町を流れる、全長約1.2km、
狩野川水系の一級河川。


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柿田川はほぼ全量が富士山に降った雨が由来の湧き水である。
他にも富士山の湧水は、忍野八海や白糸の滝、湧玉池が有名である。
また、長良川・四万十川とともに日本三大清流にも数えられる。


【地理】
柿田川公園第二展望台から見られるわき間静岡県駿東郡清水町伏見にある柿田川公園の
「わき間」から湧き出る湧き水に源を発し清水町役場付近で狩野川に合流する。
清流で知られ、水温は季節を問わず15℃前後。水中の植物としてミシマバイカモが有名である。
上流に公園があり地下水の湧く様子を展望できる。
豊富な水を求めて工場が進出、排水のたれ流しにより水質は悪化し、魚も住めない状態になる。
1970年代には護岸のため、部分的に川縁がコンクリートに覆われるなどしたが、
1980年代には地元有志によるナショナルトラスト運動(工場の移転運動や清掃活動)が開始され、
カワセミ等も生息する環境が残された。現在もトラスト地の買い上げを行っており、まだ一部未取得の部分がある。


柿田川湧水群名水百選にも選ばれ、湧水量は日に70万トンから100万トン程で東洋一[1]を誇る泉。
上水道用水にも利用され、清水町のみならず、周辺の沼津市・三島市・長泉町などにも送水されている。
ただし水利権は沼津市水道部が持っている。


柿田川がきれいになり、駿河湾のサクラ海老の漁獲量が大幅に増えた。
近くに泉の館(古民家・村上邸)があり、名水を使って造った豆腐や蕎麦が食べられ、
遊歩道も整備され湧水を汲んで持ち帰ることもでき、憩いの場となっている。


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2011年6月8日水曜日

花菜ガーデン(薔薇)

“花開く”……それは、だれしも自然に笑顔になれる幸せの瞬間。
フラワーゾーンは四季を通じてそんな“しあわせ”を感じられる場所です。


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神奈川県平塚市に2010年3月1日(月)、園芸と農業に親しみ・学び・体験できる
神奈川県立花と緑のふれあいセンター「花菜ガーデン」(かなガーデン)がグランドオープンしました。
花菜(かな)ガーデンの愛称は、花だけでなく野菜などの収穫や料理なども楽しめる農業体験ゾーンもあることから、
「花」と「菜」を組み合わせた神奈川を代表する庭園になって欲しいという願いを込められたもので、公募の中から選ばれました。
横浜スタジアムの約3.5倍もの敷地。四季を通じで花を観賞できる「フラワーゾーン」、どこかなつかしい田んぼから野菜・フルーツまで農園風景が楽しめる「アグリゾーン」、体験学習や展示会などが行われる「みぐみの研究棟ゾーン」の3つのゾーンが設けられた見どころ満載の施設です。


入場料は、 シニア[65歳以上]300円(団体200円)、大人500円[65歳未満](団体400円)、中人[20歳未満]300円(団体200円)、小人[小中学生]200円(団体100円)、
幼児は無料となっている他、1年間有効なパスポートは2,000円です。



【スポット紹介】
○春告げの小道 (はるつげのこみち) ○槿花の小径 (きんかのしょうけい)
○薔薇の轍 (ばらのわだち)      ○風ぐるま迷図 (かざぐるまめいず)
○花ごろも広場 (はなごろもひろば) ○紅葉重ねのほとり (もみじがさねのほとり)
○枝百景の丘 (えだひゃっけいのおか)○尾根見の池 (おねみのいけ)
○往にし方の小庭 (いにしえのこにわ) ○三日月山・みはらしデッキ
○スペシャルショーガーデン チャペックの家と庭





2011年5月19日木曜日

港の見える丘公園

港の見える丘公園はかつて横浜開港期にイギリスとフランスの軍隊が駐屯した場所としてよく知られている。
横浜開港と同時に横浜に多くの外国人が暮らすようになると、
当然のように日本人との間にトラブルも発生するようになった。
生麦事件の例を出すまでもなく、外国人に対する傷害事件も少なくなく、
居留地襲撃の噂さえあった。
そうした状況の中で自国居留民の安全と財産を守るためという名目で自国の軍隊が日本に呼ばれたということだが、
横浜港を一望する高台に軍隊が駐留したのは名目以上の意味があったことは間違いない。
現在の公園中心部あたりに駐屯したイギリス軍と、
現在の「フランス山」に駐屯したフランス軍とが隣り合い、
さらに当時の幕府の対応も絡んで、さまざまな逸話も残されているようで、
港を見下ろすこの場所が当時軍事的に大きな意味を持っていたことを窺わせる。

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戦後、この場所は米軍に接収されたが、接収解除後に公園用地として取得、
1961年(昭和36年)から整備され、1962年(昭和37年)に「港の見える丘公園」として開園した。
後にフランス領事館が置かれていた跡地を「フランス山」区域として公園に併合、
イギリス総領事官邸はイギリス館として開館した。
さらに1978年(昭和53年)には大佛次郎記念館が、1984年(昭和59年)には神奈川県立近代文学館が開館、
1984年(昭和59年)には横浜人形の家とフランス山を結ぶ「フランス橋」が、
1986年(昭和61年)には大佛次郎記念館と神奈川近代文学館とを結ぶ「霧笛橋」が完成している。
さらに1991年(平成3年)5月にはバラ園がオープン、
このバラ園はさらに1999年(平成11年)には「ローズ・ガーデン」として再整備されるなどして現在に至っている。


現在の港の見える丘公園はその立地から横浜有数の観光名所として知られ、
ベイブリッジを含めた横浜港の様子を一望する展望台には連日多くの観光客が詰めかける。
港湾地区の少々雑然とした風景は景観としてはそれほど美しいものでもないように思えるが、
夜景は素晴らしく、日暮れからの時間帯は若いカップルのデートコースの定番となっているようでもある。

公園は展望台のある中心部分と北西側の「フランス山」、
そして南東側の「ローズ・ガーデン」などからなっており、大佛次郎記念館、
県立神奈川近代文学館などを併設している。「フランス山」は公園の北側斜面の雑木林で、
その中を散策路が辿っている。
 山下公園方面や元町方面から訪れる際にはこの林の中を抜けて展望台を目指すといい。
木立の隙間から港の風景が見え隠れする中、野鳥の声を聞きながらの散策はなかなか楽しいものだ。

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展望台とその南側の一角はこの公園の中心となる部分と言ってよく、
花壇なども整備されていて端正な美しさを持っている。のんびりと散策するにもよく、
ベンチに腰を下ろして潮風に吹かれて時を過ごすのもいい。
やはり高台にあって展望が開けているというのは開放感があってよいもので、
その魅力は「港の見える丘公園」というその名に充分に象徴されているという気がする。

公園の南側部分、大佛次郎記念館やイギリス館などに隣接して「ローズ・ガーデン」が造られている。
港の見える丘公園はもともとバラの名所として知られていたのだが、
既設のバラ園と併せて再整備し、1999年の3月31日から「ローズ・ガーデン」として開園したものだ。
約1800本ほどのバラは西洋風の庭園の雰囲気に見事に調和して訪れる人の目を楽しませてくれる。
訪れる際にはバラが見頃となる5月中旬から下旬を選ぶとよいだろう。
この公園から山手本通りを西に辿れば外国人墓地や元町公園も近く、
やはり横浜観光には欠かすことのできないスポットと言えるだろう。
20台分ほどの駐車場があるということだが、もちろん有料だし、
空いていることは期待できないだろう。石川町駅から歩けば15分から20分程度だが、
山下公園方面とも併せて散策を楽しむのもよいものだろう。




2011年5月8日日曜日

国府祭

相模国府祭
(さがみこうのまち)
 毎年、5月5日に開催されます。
 国府祭は、相模の六社が集う祭りで、県の無形民俗文化財に指定されています。
 神揃山では、相模国の成立にあたり論争の模様を儀式化した神事である座問答が行われます。
 大矢場(現馬場公園)では、国司祭や三種類の舞が奉納されます。
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祭事は、六所神社の神領地であった大磯町国府本郷の神揃山(かみそりやま)に、
一宮から五宮の神輿が集合するところから始まる。5社が入山後に祭典が催され、
正午からは「座問答」(ざもんどう)と称される神事が行われる。
祭事の中心と言われる「座問答」では、一宮・寒川神社と二宮・川勾神社が席次を争い、
三宮・比々多神社が「決着は翌年に」と仲裁を入れて終了する象徴劇のような神事が行われる。
「座問答」が終了すると六所神社へ迎えの使者が送られ、使者を受けた六所神社の神輿が「高天原」、
現在は「大矢場」(おおやば)と呼ばれる場所へと向かう。
一宮から五宮の神輿も「大矢場」へ移動し、
七十五膳の山海の幸を献上して六所神社の神輿を迎え入れ「神対面神事」などが行われる。
神事の後、各神社の神輿は順番に退場して国府祭は終了する。
相模国の六社とは?
①一之宮(いちのみや)
寒川神社(寒川町宮山3916)
②二之宮(にのみや)
川勾神社(二宮町山西2122)
③三之宮(さんのみや)
比々多神社(伊勢原市三ノ宮1472)
④四之宮(しのみや)
前鳥神社(平塚市四之宮4-14-26)
⑤八幡宮
平塚八幡宮(平塚市浅間町1-6)
⑥総社
六所神社(大磯町国府本郷935)
 
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